第28回公開講演会 2022年5月7日
講師: (元)在香港国際交流ディレクター  北垣 勝之

演題: 香港から見た中国 ― 異文化の認知と強制 ―

 千葉県JICAシニアボランティアの会が主催する2022年度最初のイベントである第28回 公開講演会が、2022年5月7日(土)、浦安市国際センター研修室を会場に開催されました。 講師から事前に「講演内容について、中国問題を追究して行くと時間がいくらあっても足りません。あくまでも香港問題から要点を絞って論述したいと考えています。」との連絡の通り、内容の濃い講演となりました。 講演内容を簡潔に要約するのは難しいので、講演レジメの部分抜粋を以下に掲載します。

● 国際交流ディレクターとして・ジャパニーズインターナショナルスクール設立計画

北垣 勝之  私が初めて香港を訪れたのは28年前、そこで中国返還前の約3年間を過ごした。丁度、香港が最も繁栄した時代だったように思う。私の任務はグローバル化に即した国策として、現地日本人を対象に彼我の文化交流を図ることにあった。そしてもう一つ国際学級を擁する新しい日本人学校建設計画の立案推進という課題もあった。これらの実践活動を通じて多くの異文化とも直面、それを享受し共生に導く楽しみを謳歌した次第である。 国際学級をもつ新日本人学校の建設計画は、結局、香港中文大学の先、大埔(タイポ)にも近い吐露灣を見下ろす場所に決まった。その後の日本人学校大埔校(小学部のみ)は国際学級の名に恥じない英語力強化と、「世界に羽ばたく国際人の育成」のもと充実した教育に励んでいる。生徒数は初年度(1997)226人そして2004年666人をピークに減少に転じている。これは中国各地にできた日本人学校の児童数と反比例する。中国への企業進出など人流傾向によるものであろう。さらに私が在香港時、世界の日本人学校の生徒数のトップスリーが、それぞれシンガポール約5000人、香港約2500人、タイ約2000人のオーダーだったことを鑑みれば、時代変化を映す現象として受け止められよう。

● モンスター中国の現況

北垣 勝之  中国共産党が創立(1921)されてから100年、人口は14億4186万人、第2、3位のインド13億6642万人、アメリカ3億2901万人(以上2021統計)を凌ぐ大国である。GDPは2012年に日本を抜き世界2位へ、アメリカ22兆6753億ドル、中国16兆6423億ドルで第3位の日本は5兆3781億ドル(以上2021統計)である。ただし一人当たりGDP(2020年統計)で見ると中国は世界64位(10,511ドル)となり、香港15位(46,667ドル)にも遥かに及ばず。

●   香港の生い立ち

 欧州に絶対主義国家が台頭した16~17C。重商主義のもと世界に乗り出した。大英帝国も良港を求めて一寒村に過ぎなかった新界に拠点を設ける。清英の阿片戦争、アロー号事件によって英国による植民地化が本格化、その後、新界の租借権も得て全香港の99年間租借が決まる(1898)。香港は一時日本軍統治下(1941.12.25から3年8か月の間)に置かれるが、その後、英国流民主主義の国際自由都市へと目覚ましい発展を遂げる。そして一国両制、港人港治のスローガンのもと中国への主権返還へと歩む。

●   香港成長の要因と基幹産業

北垣 勝之  小さな都市国家に過ぎなかった香港が目覚ましい経済発展を遂げた要因は何だろうか。人力・物力・金力・地力に負う成長方程式から見ると、金融・物流・観光・不動産業という基幹産業に行き着く。 まず金融だが、イギリス統治時代から大小多数の銀行が開業していた。中でも香港上海匯豊銀行(HSBC)、中国銀行分行(BCHK)、香港渣打銀行(SCB)の三行は今でも香港ドルの発券銀行であり、国際金融機関として香港市場を牽引してきた。 これら三行三様の主要銀行のほか、かつて香港では中堅だった東亜銀行や恒生銀行などの商業銀行も躍進した。これら香港金融市場の発展の背景には、①自由放任の行政スタンス、②整備されたインフラ、➂低税率や低人的コスト、➃世界最大級の株式市場、➄ポンドから米ドルへのペッグ制移行(1972)などの香港ならではの特殊要因と、この間中国本土を含めアジア経済の急成長といったフォローウィンドも寄与したようだ。

●   不動産王「李嘉誠」に続け

北垣 勝之  ‘Superman’こと李嘉誠の紹介。天安門事件(1989)のとき、中国本土に投資拡大、発電所建設にも関わる。彼は1928年広東省澳州市の生れ、日中戦争の余波を避け一家は香港へ、13歳のとき父親を亡くしてからは独力で人生を切り開いてきた立志伝中の人、果ては長江実業グループ創設者兼会長(2022年引退)である。その間、世界長者番付において2013年8位、2018年11位とGAFAMトップに伍して名を連ねた。日本軍の統治下で辛酸を舐めたにもかかわらず、三陸沖地震で甚大な被害を蒙った日本へ多額の震災見舞いを提供した。彼は広州の郷里に大学を開設、社会福祉教育活動にも寄付を行っている。もともと彼の事業の根底には常に互恵精神があった。 もう一人政界に「香港の良心」たる人物がいた。丁度私が香港にいた頃、パッテン総督に仕えた陳方安生(1940生れ)、当時彼女は香港政務司司長、中国返還後は行政長官就任を期待されたがこれを固辞、以降政界に復帰することはなかった。もとは上海系名家の出、国民党将軍であった方振武の孫である。李嘉誠同様、戦禍を逃れ香港に逃避してきた一家である。彼女は香港大学英文科卒(1962)、最近の逃亡犯条例改正の撤回と港人港治、三権分立の維持を強調、北京の傀儡政権とならず高度な自治が保障された一国二制度を守るべしと主張してきた。

●   香港の魅力とは(その1)・・・「衣食住」

北垣 勝之  香港の場合、何も身構えることなく観光という事業が成立、それは多彩なエンタメ・グルメ・ショッピングだけではなく、文化・スポーツ・自然環境によって自ずと演出されたもの。街には此処かしこで職人さんの老舗が伝統的な技を披露する。英国仕込みの洋服屋や、地元自慢の郷土料理店、中には場末の一間間口ミシュラン店もある。世界の珍味を集めた乾物屋、雑踏の路上市場での生鮮食品の買物、そこには皮を剥ぎハエのたかった豚頭もある。かと思うと高層ビル街の一流ホテルラウンジでは優雅なアフタヌーンティを賞味できる。また飲茶(点心)、粥麺の有名店には行列ができる。海鮮料理はお手のもの、鯉魚門・西貢、南Y島など枚挙にいとまなし。

●   香港の魅力とは(その2)・・・「医職自由」

住民にとって重要な要件は医療・仕事、そして自由主義ということになろう。まず医療だが、英国仕込みの近代的医療が普遍的に行われている。イギリス流とは簡素にして実効的な施術と、手厚い保険制度が徹底しているということ。医療保険は国によって100%付保されているので高額医療費を払う必要はない。アメリカとは因泥の差である。かくして香港では大規模総合病院もあり、英国と全く同じとはいかないまでも合理的な医療が行われている。 次に仕事については、特別行政区のため中国人の流入には制約がある。それに地価が高く容易に住民は増えない。そのため香港の人口は700万人台で足踏み状態、にも拘らず経済活性化により労働需給は常にひっ迫している。それを補うかのように近年は西南アジアや中東、アフリカ辺りからの出稼ぎが多くなったようだ。 そして香港の最大の魅力は、なんといっても個人の自由闊達な言動が許されていること。確かに中国共産党政府の意図にそぐわない言動に対しては厳しさを増してきたが、さいわい商業や経済、学業、娯楽など庶民の一般的な生活には深刻な支障を来たさず、表面上人々は円満に活動している。ともあれ多くの声なき声として国家安全維持法(2020)と、それに伴う犯罪者拘留と送致権のような愚策の撤廃が望まれている。

●   言葉は文化の鏡

北垣 勝之 中国には55の少数民族がいる。人口の90%強を占める漢族以外はみな少数民族である。本来、彼等の文化や生活様式は漢民族とは異なる。特に中央との差異が大きいチベット、ウィグル、内モンゴル自治区の人々は言葉も違えば風俗習慣や宗教も違う。 母語に当たる言語の中国語は、香港の場合は流入中国人にとっては紛れもない母語、だが返還前からの香港人は広東語や英語を話し、中国語との違和感を否めない。これらの格差を埋める言語理解、すなわち異文化の認知は、彼等が今後同族の民として繁栄していくために必須不可欠の課題となろう。言葉は遮る壁ではなく共存共栄に導く扉であり、文化を映す鏡なのである。

●   香港の中国化と中国の香港化の先へ・・・着眼極大、着手極小

香港は今や中国本土とのヒト・モノ・カネ・コトが頻繁に往来する媒介地として、地の利を得て中国の前途に影響を及ぼす存在である。広州・東莞・深圳の経済開発特区の要であり、澳門・珠海観光とも合わせ広東省全体への将来展望が描ける。それぞれ手拉手(シュラショウ)、特有の文化を糧として互生へと動く。中国共産党指導部も無視しえない特別行政区である事に変わりはない。中国の事大主義と香港の事小主義の結合、それは中国の発展に向けた確かなアマルガムであろう。華北、華中と並び香港は華南経済圏の要衝として機能する。 香港の最大の魅力は個々の自由、その自由が中共政府の集団主義統制のもとに脅かされている。これでは折角の香港の良さが消滅してしまう。賢者は同質画一化がよいか、異質多角化がよいか、いかに選択すべきか自明のことであろう。この本質はお互いの異文化の認知であり、それが共生してこそ明るい未来の発展へとつながる。中国の大局観と香港の極小観の相乗効果を期待しよう。大は小を蔑むために在らず、小は大に諂うために在らず(大不在為蔑(べつ)小、小不在為諂(てん)大)。それでこそ香港の歩んできた知恵を活かす温故知新にも繫がる。

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