思い出の写真

2007年4月協力隊祭りでダンス実演 協力隊祭りでのサモアダンスチーム
旅行博覧会でのサモア美人 サモアSV同窓会
サモアのバス乗り場 サモアの市内バス
サモアの学校

レポート                        影山 洵

1)サモアの概要

南太平洋に位置、首都はアピア、主にウポル島とサバイ島からなる。人口は17万人、面積は日本の神奈川県とほぼ同じ。経済はコブラ、ヤシ油、タロイモなどで伝統的一次産品に依存。住民は主にポリネシア系、他にメラネシア系、中国系がいる。1889年ドイツの領有地となったが、第二次大戦後1945年にニュージーランドの国連信託統治領となり、1962年南太平洋地域で最初に独立し、同年ニュージーランドと友好協定を締結した。

2) 自己紹介

私は、商社で30年間、欧米諸国、中国、東南アジア諸国と主に繊維製品の加工貿易、即ち日本から原料を海外に送り現地の労働力を使って製品を作り日本に輸入する仕事をしていました。 55歳で退職し、海外経験を生かしてみたいと思い、JICAのシニア海外ボランティアに応募し、南太平洋のサモアで3年間ボランティア活動をしました。

商社での仕事の内容は主に国境を越えて物資を輸送することでしたが、輸送という仕事は大変重要であると思っています。ある学者によると、世界中の食料の生産量と消費量はほぼ同じであり、世界人口60億人分の食料はあるそうです。従って人類が平等に食料を分配すれば、この世に食料不足は起こらないことになります。食料の豊かな国が不足している国に円滑に食料を輸送することができたら、この世の中から飢餓がなくなると思います。実際は、先進国では食べ過ぎで糖尿病や高血圧が多発し、途上国では飢餓が発生しています。政治、宗教、民族問題といろいろ解決すべきことが沢山ありますが、理想は人類の平等な食料や必要物資の分配ではないかと思っています。

3)サモアでのエピソード

サモアは「この世のパラダイス」といわれている途上国です。この国の人は巨体民族と言われ、女性で90キロ、男性で120キロ位の人が大勢町を歩いています。200キロ体重の元大関小錦はこの国の出身で、おじいさんがここで生まれました。飛行機も乗客の胴回りが大きいのでシートベルトに継ぎ足しのベルトを用意しています。小型飛行機は体重の重い人が乗るとバランスが崩れるので、体重計が準備してあり左右同じ重量になる様に乗客を乗せます。

この国がパラダイスと言えるのは、年間衣食住の心配が要らないからです。年中夏の気候ですからTシャツ1枚でよく、果物が年中木になっているので飢える心配がありません。建物は屋根と柱だけで戸と壁が無い吹き抜けの家です。暖かいので風邪を引く心配がありません。

日本人はここに3日住んだら4日目から何もすることが無くて飽きてしまい、どうやって過ごしていいかわからなくて途方にくれてしまいます。海と太陽と緑以外何も無いのがパラダイスなのですが、その為か国民は勤勉でなくなり国の発展が遅れて途上国のままです。働かないで暇だけあるというのでは国は発展しません。

家ではマタイという酋長が最高の権威をもって統制を取っています。マタイの言うことに家族は絶対服従します。1家族は14人位の構成で、お金は全部マタイが管理し個人はお金を持ちません。皆平等で家族はマタイが面倒を見ます。これを原始共産社会と呼んでいます。

国民の9割以上がキリスト教徒で、日曜には真っ白な服につば広の帽子をかぶりドレスアップして家中で教会へ行きます。日本から来た年配のご夫婦を教会の日曜礼拝にご案内した際、牧師様がお話をしている最中に前の方の子供が話を聞かず騒いでいたので、側にいた長老がスリッパを脱いでその底で子供の頭をパシッと殴りました。子供はとたんに静かになり、お話しは何事もなかったかの様に続けられました。これを見た日本のご夫妻は「もし、日本で子供の頭をスリッパで殴ったら親が黙ってないだろう。訴えられて、一騒動もちあがるのではないか。」と驚いていました。丁度その頃は日本で成人の日の式典最中に若者が携帯電話をしたり、私語をしたり騒いで来賓の話を聞かないことが社会問題になっていた時でした。サモアは国の発展は遅れていますが、目上の人や教会の牧師様を尊敬する社会習慣は守られていますので秩序が保たれています。一方日本の社会は秩序が守られない放任社会という社会問題が一部で発生しています。この様に社会習慣もだいぶ日本と違います。

サモアは英連邦に所属しますのでイギリスの影響を受けています。週休二日制も行き渡っていて、土日は官庁や民間会社は休みです。刑務所も週休二日制で看守が休みを取りますので、土日に囚人を自宅へ帰します。囚人は金曜日の晩に帰り月曜の朝に刑務所に戻ってきます。警察庁長官に会った際、長官は模範囚を帰宅させているので一切問題は起こらないと言っていました。しかし、周りに住んでいる国連職員や日本人によると、囚人は帰宅する時家に土産を持って帰るので、刑務所と自宅の中間地点の通り道の家がよく泥棒に入られるそうです。毎週入るので道筋の人が怒って警察に抗議したところ、「来週囚人が帰宅するので盗難にあわないよう気をつけてください!」と警告の電話がかかってきたそうです。国が変われば、週休二日制の取り方も変わってきます。

以上