思い出の写真


活動を共にした、
独立運動の盛んなブーゲンビル国連事務所

ブーゲンビルにある石鹸工場の指導現場と仲間たち>

ゴロカの酋長主催による村上げての歓迎式典

投資促進公社の同僚

パプアニューギニアの美人姉妹

街中の自由市場

欧州の国際協力部隊の友

ラバウルの子供たち

レポート:「国造りの尖兵をめざして」 中島 敏雄

JICASVとして平成16年4月から18年4月までの2年間、パプアニューギニアの首都ポートモレスビーに本部を置く投資促進公社(Investment Promotion Authority)において同国の人々と共に微力ながらも国造りに協力する支援活動に参加させて頂きました。

パプアニューギニアが東半分を占めるニューギニア島は、太平洋で一番大きな島そして地球最後の秘境と言われています。同国は約70-80年前に山岳地帯で未知の部族が発見されたように(映画にもなったFIRST CONTACT)外界との接触の歴史が極めて浅い国です。わずか、この1-2世代の間に西欧型文明社会システムが内陸部にも導入されました。その前には原始的生活、いわゆる新石器時代のような生活をしていた人々もたくさんおりました。

いわばタイムカプセルに乗って、一万年前から、この文明社会に突然飛び込み、自動車、飛行機、また銀行などのアンバランスな世界に直面し、伝統的価値観と近代的価値観とが混在した中で生活しています。まだ国民の約85%が自給自足の生活をしています。

こうした環境下で製造業と言えるほどのものは、一部を除き、まだ育成されておりません。経済は金、原油、銅等の天然資源輸出に大きく依存し、米、食肉、日用雑貨生活用品を輸入する植民地型です。現在の貿易収支は黒字ですが、近い将来、現在輸出している天然資源は枯渇すると予想され、これに代わる新規輸出商材の開拓・確保が急務です。将来的に持続可能な商材発掘は、今やらなければなりません。これが私に課せられた大きな任務でした。

同国の農村地区の生活向上の為にはコーヒー、バニラ、スパイス等の農産品輸出が有効と判断し、派遣先に赴任後、直ちに山岳地帯のコーヒー栽培地実態調査、またラバウル地区でのスパイスを中心としたワークショップを開催致しました。特にコーヒーについては、従来、酸味が強くミーディアムローストを好む日本人の嗜好には合わないとされていましたが、最近の日本におけるダークローストを紹介したシアトル系コーヒーの台頭により、パプアニューギニア産コーヒーを「スペシャルティーコーヒー」として売り込むには、今が千載一遇の好機と考え、JETROやPIC(国際機関太平洋諸島センター)の絶大なる支援を仰ぎ、コーヒー輸出拡大プログラムを最重要案件の一つとして取り組みました。

具体的には日本から国際的なコーヒー専門家を含む、JETRO理事をリーダーとした本格的な経済ミッションをパプアニューギニアに招聘し、主要産地でのコーヒー栽培、テースティングに関してのワークショップ開催、また幕張で開催された食品の国際見本市(FOODEXJAPAN)にコーヒーを中心に出展させました。これらのプログラム終了後、フォローアッププログラムを編成し、パプアニューギニアよりコーヒー使節団を東京、大阪、神戸に派遣し、コーヒー焙煎業者、メーカー、商社、専門家との意見交換、視察、及び商談を実施しました。これにより、同国の対日向け輸出マインドは一段と高まり、日本での販路開拓に成功し、着実に成果を上げることができました。

現在、私の発案で「日本でパプアニューギニアコーヒーの販売シェアー5%確保を目指せ」(現状は僅か1%)を合言葉に、派遣先であるIPA(投資促進公社)の仲間は日夜一丸となり目標に向かい輸出拡大に取り組んでいます。

私は帰国の際に、自らの力でパプアニューギニアの農村地区の生活向上の為の尖兵なることを誓い合いました。非常に嬉しい感動の瞬間でした。これからも、生涯、彼らを見守ってゆく所存です。

以上