ミクロネシアの風土と人々の暮らし
![]() コスラエの電気も街からの道路も 通じていない村の教会前広場 |
![]() ヤップで伝統舞踊でのデビュー? |
![]() ポンペイでのサカオ造り アルコール分は無く鎮静効果で飲むほどに静かになる |
![]() バナナ等の食材を使ってのローカルフーズでのパーティ |
![]() トラックの荷台に乗って街にショッピング |
![]() 街のマーケット(鮮魚店) |
![]() 街のマーケット(果実店) |
![]() 日本の気象観測船寄航で船上での歓迎ダンス前 |
![]() ポンペイのメインストリート(ナミキストリート) |
![]() マングローブで囲まれているポンペイ |
活動レポート:「ミクロネシア連邦、郷愁にかられる地」 宮崎 征士
私自身は、ミクロネシアをグアムやサイパンなどがある太平洋上の一部地域を指す言葉としては知っていましたが、国名としてのミクロネシア連邦(Federated States of Micronesia) のことは殆ど知りませんでした。(現地では略してFSMと使用される)
FSMはポンペイ、チューク、ヤップ、コスラエの4つの島(州)で構成される連邦国家で、今でも文化や言語も違い共通語として英語を使用しています。航空会社を定年退職し、シニアボランティア(SV)としてミクロネシア連邦の首都があるポンペイ島の連邦政府で働き始めた当初は、ついこの間まで,こま鼠のように仕事で動き回っていた習慣から抜けきれず、現地での仕事のスピードや、また歩くリズムにさえ合わせられなく戸惑う事多々でした。
しかし半年を過ぎた頃から、長年都会での慌しい生活に馴らされてきた自分が、ゆっくりと時が流れるFSMに魅力を感じ、ここの人々の生活の流れやリズムが、本来の幸せな人間の生き方ではないかと思うようになりました。
南の島から想像される海岸は砂浜でなく、マングローブでは囲まれています。さらに日本からのアクセスの不便や、高い航空運賃などが、グアムやサイパンのように観光地とならず、日本人の訪問者は年間3,000名位で推移し、日本の旅行繁忙期の盆正月でも静粛を保っています。そのためか今でも手付かずの自然が一杯です。
海に潜れば、お花畑かと錯覚する色とりどりの珊瑚の群れと、熱帯魚に目が眩みそうになります。陸には豪華なホテルやナイトライフ施設は皆無ですが、満天の星空や、夕立後のすぐそこから始まっているように見える虹は、心を癒してくれます。
しかしFSMの魅力は海と陸の自然だけではありません。それは人々の魅力です。以前日本が統治していた時代の影響か、特に日本人には親日な態度を惜しみません。人々の性格は温厚です。また現大統領も含め多くの日系人が政界やビジネス界で活躍し、一般の人でも日本の名前をつけている人がいたり、幾つかの日本語が現地の言葉として使われています。
子供たちは日本のようにゲーム機などには縁が無く、自分で紙飛行機や木箱を利用しておもちゃの車を作ったり、また女の子は、ゴム跳びなどをして遊んいる風景を見かけます。主婦は自分の家の周りの落ち葉を箒などでよく掃いています。
お酒を飲むと、年配の人は、私が殆ど忘れかけている日本の童謡を、ギターで弾きがたってくれます。このようなミクロネシア連邦での日々の生活は、半世紀以上も過ぎ去った熊本の田舎での日々の郷愁でもあり、実際にその時代にタイムスリップさせてくれた地でした。
以上