メキシコ ケレタロ工科大学での熱い100週間        浦木 仁

 初めての海外ボランティア活動は、60歳の誕生月(2009年7月)に駒ヶ根のJICA訓練場に入所し、定年退職辞令を郵送してもらうことから始まった。35年間の「物づくり」現場の改善・運営経験が、生産性管理の指導を通してどれだけ任国に通用し、貢献できるか?というテーマを持って、日本の次にオリンピックを開催した国…メキシコのケレタロ工科大学に赴任した。ケレタロ市は、メキシコシテーからバスで北西に3時間ほどの中規模の工業都市で、気候は穏やか、旧市街地と水道橋の世界遺産がある美しく住み良い町である。当大学は創立44年を誇る公立大学で、生徒数は6千5百人程度、私の所属した工業技術学部はその中でも最も伝統があり、学生数も最多の学部である。そして近郊の中小零細企業の改善を目的とする学長がトップのプロジェクトの一員として、カウンターパートである経営工学や数理統計、そして品質管理の専門家の先生方6人に日本式生産管理の実践技術を伝承しながら共に企業改善指導行う活動を始めた。


ケレタロ工科大学(ITQ)校門の夜明け風景

大学のキャンパス(後ろが工業技術研究所)

カウンターパートの先生6名(私は左から2人目)

大学研究所内改善活動、先生方への現地説明会

 しかし、当初は大学も始めてのボランティア改善活動の為、具体的な方向性を見出すことが出来なかった。そこでまずは大学にあるプラスチック成形機から改善を始める事を提案した。同時に、あるべき姿を知る為に先生達や学生達と近隣の日系企業を見学に行くことにした。企業訪問では異国の地で改めて日本人の絆や情を強く感じ、心強かった。また、私はメキシコシティーを拠点に活動していたJICAの先輩方の企業診断に半年間同行し、更にケレタロ周辺の企業訪問も行い、次第にメキシコ企業の実状が解って来た。そして、全員合意で選択したモデル零細企業の指導として企業講習会を進めながら、日本式生産管理の実践編技術資料を構築していき、130ページに至る資料を作ることが出来た。このような約1年に渡る活動からグループに自信が生まれ、大学の特徴を生かして学生を工場に配置し、先生が知識的な側面、私が経験実践的な側面から支援する形が出来、企業改善成果も出てきた。そして中企業2社も加わり本格的な指導活動が軌道に乗り始めた。この他に私は並行してメキシコシテーの大・中企業も3社診断指導し、これら異業種改善の相乗効果も大きかったと考えている。この間、日本語200選や品質管理技術用語をスペイン語と英語を並記した大学生の興味を引くような掲示板を研究所に作成した。

 これらの活動内容をまとめると次の4項目になる。 ①大学が所有する射出成形機の改善活動。 ②大中零細7社の改善指導と実践的教育。 ③関連技術資料の作成と解説教育。 ④その他、日系企業訪問、日本技術用語の紹介や各種発表、企業評価法の考案等。

 大学が組織的に全面協力をしてくれたので、概ね赴任当初予定に沿って進捗し、成果を得る事が出来た。そして指導した小企業は1年後にはISO取得に意欲を示し、大企業はアメリカ本社から聴講に来る等、今後の進展が楽しみな状況になってきた。


大学生(31名+先生)と日本企業視察

大学の授業にて日本式生産管理法技術資料の紹介

生産管理技術用語の紹介掲示板

日本式生産管理方法技術資料目次(全130ページ)

小企業現場改善指導風景

小企業改善講習会、問題解決演習の発表会

中企業改善指導、現場リーダー講習会

大企業改善指導、現場講習会
(アメリカ本社品質管理担当者出席)

 しかし、プロジェクトの運営面では、企業に対する大学の弱さや多忙な先生方や学生との協力体制強化の課題が残った。また、メキシコの大学や企業の生産技術の知識レベルは、非常に高いと感じるのだが、日系企業からはもっと応用力のある学生を要請されるし、企業が新規設備投資をするには資金調達の障害が大きいことも解った。更に文化的には、中南米のおおらかな国柄はもちろん任国においても同様で、実動場面での苦労がつきまとった。今回2年間の活動中、常に念頭に置いていた言葉が私の気持ちを最も端的に表している。「あわてず、あせらず、あきらめず、当てにせず、でも決してあなどらず!」。よって、今後の支援は技術面ばかりではなく、教育的、社会制度的、文化的な問題も考慮する必要があると感じている。また、ケレタロ市の日々の治安は非常に良かったが、着任直後、銀行キャッシュカードのスキームにあってしまった。異国では多方面の注意が必要なことを改めて実感した。

 生活面でも大学の先生達が親切に対応してくれ、2回の誕生会を開いてくれたり、折々にパーティーを開催したり、結婚式にも招待して頂き、仕事も含め充実した生活がおくれた。メキシコの独立200年祭や日本との交流400年祭に立ち会えたのも良い思い出になった。


自宅でのホームパーテイ(妻来墨中)

私の送別会(先生宅の庭)

誕生会(61歳時)

誕生会(62歳時)

結婚式セレモニー

結婚披露バーテイ(花婿の胴上げ)

メキシコ独立記念日、独立200年祭

独立記念日、ケレタロ市中心部の夜の風景

 東日本大震災以来、大学の先生や学生ばかりでなく訪問する企業でも日本の復興に対し励ましの言葉を頂き、両国の繋がりの強さを感じた。特に企業人は日本の企業経営エンジンの強さを信じてくれていると実感した。当初のボランティアのテーマも手応えを感じ、次のレベルに進んでいきたいと思っている。その活動の醍醐味も実感したので、現在、次の挑戦に向けて技術レベルを上げるべく研鑚中である。

以上