思い出の写真

ホテル自室前から前庭をのぞむ 林学部の作業場。大木の木陰で植林用苗の種まきを行う
マンゴーの幹に付いた欄 ホテル近くの道路風景
熱帯杉とブーゲンビリアが美しい
 
ソルゴー畠から山をのぞむ。
この山の向こうにテクシガルパがある
 

レポート サモラノ大学                  有光 武臣

ホンジュラスの首都テグシガルパから国道を東へ35km、サモラノにあるパンアメリカン農業大学が私の任地であった。ここで1年間、園芸学科のコンサルタントとして活動し2004年4月に帰国した。すでに2年あまりを経過したが、このたび投稿の機会を得たので、記憶にのこる事柄を書き記しておきたいと筆をとった。

サモラノ

標高700mのほぼ平坦な高原にある。そのため外気温が高い割には湿度が低く過ごしやすかった。5月から10月の雨季には毎日のように少量の雨が降った。9、10月にはカリブ沖を北上するハリケーンの影響で蒸し暑い日もあった。乾期にはほとんどがふることはなかった。

サモラノでの生活

大学の敷地内にあるホテルの炊事場付ワンルームに住んだ。部屋の掃除、ベッドメイクはメイドが行った。食事はホテルのカフェテリアを利用した。なれてくるに従い朝食と夕食の一部は自炊とした。食料、水は大学の生産物を外部の人にも販売する直売店で購入した。酒、フィルム、テニス用品などは テクシガルパまでバスに乗って買いに行った。途中、バスの窓から見る風物は珍しく見飽きなかった。バスの中はサルサが大音量で鳴り響きとても陽気な雰囲気。定宿としていたホテルに入るとまず散髪、そしてシャワーを浴びてくつろいだ。久々の少し気のきいた食事や買い物のあと1泊して疲れを癒した。テクシガルパには月1回は出向いた

パンアメリカン農業大学

1942年設立。運営は暦年度。 7000 ha と広大な面積をもつ。1学年260人。教育理念は実践と学習(半日実習、半日講義。生産物販売で運営費の30%を賄う)。ブルージーンズが制服。全寮制。敷地の中央部を東西にテグシガルパからダンリを経てニカラグア国境に至る国道が縦貫している。このため施設は南と北のゾーンに分断されている。私の主な活動場所である園芸学科、グリーンハウス、ホテルは北のゾーンにあった。これらの間の移動には車を利用した。

園芸学科

組織はC/Pである教授が講座の教授と集約農業生産事業会社の支配人を兼ねる。副支配人を兼ねる教官と花卉担当の教官がいる。助手、事務員等5人。他にワーカー40人。 ハウスは計12棟。840平方メートル/棟。点滴灌漑栽培。トマト、ピーマンを主に栽培。コナジラミが大発生する。

圃場での野菜栽培は日本を参考として多くの品種が集約栽培されている。うね立て栽培。作物栽培のため最も重要な水は、西に位置する山から水路で導き学内を潤したのちため池に貯えられる。ポンプアップし管で配水ののちチューブで潅水される。耕運機は日本製が入手できないため韓国製を使用。小型噴霧器等は日本製が用いられる。

活動、成果

着任当初は案内してもらって栽培現場の見学を集中的に行った。そのあと教官とデイスカションを繰り返した。その結果最大の課題は「トマトは主力品目であるが生産費高騰の折から更なる増収を必要としている」ということで、現状(70t/ha/半年)よりも更に増収したいということであった。

この課題解決のため学生実験2題を設定し3年生2チームにより6月から実施した。そのうちの1題「日本で通常行われる管理技術(支柱誘導、果実の間引き、主枝の芯止め)」が慣行のサモラノ方式に比して更に有効な安定生産、増収技術と認められた。結果は実験報告会で報告された。

この結果を元に教官が11月からハウス1棟全部を使って追試をかねた栽培を開始した。1果房5果、8段までを残して芯止めする方法。コナジラミの被害と灌漑装置の接続不具合を原因とする減収にも注意深い対応がとられた。その結果3月末時点の評価でほぼ100tの目標が達成の見込みとなった。

その他の活動としては、頼まれた日本の技術書の翻訳を手のすいたときに行い園芸学科資料として配置し利用に供した。

任期が1年と限られていたため手際よく現状分析を行い課題を解決する必要があったが熱心な先生、学生に恵まれ一定の成果が得られたことをうれしく思っている。また指導した日本型栽培技術がさらに発展をとげ中南米の栽培現場で普及することを期待している。

学生食堂にいたる歩道
学内のメーンストリート
ハウス棟と灌漑装置

余談・・・ブルージーンズ

大学の制服です。学生たちはとてもよく似合っていました。新学期が始 まりピカピカの1年生が揃いのブルージーンズでキャンパスに登場しました。新品のブルージーンズのインデイゴブルーはとても深く、濃い色でしかも鮮やかでした。対照的に上級生の洗い晒したジーンズは流した汗の多さを物語り、清潔感とともに風格をも感じさせるものでした。今は真新しいジーンズもサモラノでの月日とともに使い込まれてストーンヲッシュの風合いを増してくるのでしょう。それを着る彼らはやがて見違えるほど逞しくなって卒業して行くのです。

---- さてこのあたりで筆を置くこととします。 またの機会に、では。 ! Adios!

以上