レポート あんなに平和だったのに! 「シリア レポート」    加藤 哲男

下記のレポートは紛争以前の2011年1月時点のレポートです。

その平和だった国が、今世界で一番危険になっている。

アラブの春が刺激となり、今まで押さえつけられていた言論の自由が自分たちも実現できるかもしれないとの希望からデモを始めた。

ところが現実の支配者はそう簡単には降参しなかった。彼らは40年間も少数派で多数派を抑えてきたので、武力支配構造はしっかりと固めてある。当初は目覚めた国民の自由を求めた行進が、今は外国などのテロ組織まで入り込んで来たようだ。

そうなったら、結末はもっと悪くなりそうで心配です。

反政府側が鎮圧された後には、政権側は従来以上に取締をきつくするであろう。国民はちょっとでも政府批判的な言動をしたら即逮捕投獄だ。私が教えた食品分析法など、理論に関係なく、上層部の言うとおりにするしかない。有能な人がいて彼に技術移転して来たのだが、彼も自分の意見は言えないだろう。

こうなるとは露知らず、1年前の私は以下のレポートを書きました。 (2012年6月5日 記)


シリアは平和な国である。人々はとても人懐っこい、町を歩いているとそこら中から、ハロー、ジャパンか、お茶飲んでいけ、の声が掛かる。それはいいが、自転車に乗って我らに声を掛けた為に、目の前にある電柱に衝突する中学生がいる。道路を横断中にもハローと呼び掛けられる。泥棒、強盗の話は身の回りで聞いたことがない。隣国イスラエル、ヨルダン、イラン,レバノンに囲まれていながら、それだからこそ非常に気をつけて争い事を起こさないようにしているとの事だ。道を聞けば丁寧に連れていってくれる、そのくせ混んだバスで降りる前に乗ってくるのはどういう訳だ!

野次馬と一緒に すぐ寄って来る
ベドウインからの習慣らしく羊が沢山飼われている。高速道路脇の僅かな草を生んでいるが、轢かれたものを見た。

羊はどこでも見かける

配属された所は国営2年制の職業訓練学校、食品化学部門。私の役目は食品分析作業の指導。卒業した生徒が社会に出て働く為の技術を身に付けるのが目的。しかし、卒業しても就職は容易ではない、専門を生かせる人はごく一部。多くの卒業生は職種を問わず就職する。また、資格を重視し外国の大学で資格を取りたがる。コネが幅をきかし、能力による採用は未だ難しいらしい。(写真:実験指導)


HPLCを指導

分析指導

技術水準は日本人から見て危なっかしい。他国との貿易、競争に対抗できるまでには至っていない。食品分析では化学実験の基本操作を先生が身に付けていない。途上国の特徴かもしれないが、表面的な操作だけで済ます。だから数値は出るが信頼性は低い。輸入に当たっては受入国で再度検査が必要だろう。

そこで我々は技術向上を目指して派遣されたが、2年間でできたことは僅かである、競争力の向上に迄は到底至っていない。

仕事のやり方が大いに異なっている。

授業時間: 8:30~15:30で1コマ2時間。先生の側から見ると、担当科目がある間だけ在学し、終わったら帰ってしまうから、1日に4時間程度。毎週1回工場実習がある。実験室は沢山あるが器具の揃いは良くない。教えている内容は基本操作で日本の高校程度。

食事について: 朝は食べてこない、第一回目が11時頃、食べる人もあり、食べない人もいる、夕食は帰った後らしいが、日本ほどかっちりということはないようだ。

国営組織について: 大きな会社は皆国営である。民間企業の育ちは少ない。社会主義なので、皆に分配の趣旨らしく、仕事の能力、実績に関係なく一定の給料。すると労働者はなるべく働かない方向に行くのは自然である。ある時、未だ授業時間内なのでガスクロマトグラフィーという機械の故障を点検をしたいと言ったら、先生は生徒がいないから帰ると言う。その先生を引き止めるのに学長まで頼んで大変苦労した。機械が故障したら放置するだけなのだ。仕事は上意下達が基本、学長は毎日忙しそうだが、下位の先生方は指示が無ければ自分から動かない。

下水処理場では処理不十分な排水を10年間も流し続けている。設備を増やせばよいことは分かっているが予算が無いという理由でそのまま。しかし、或る肥料工場では、排水の燐濃度50~300ppmであった。これに石灰添加方式を改善するよう申し入れしたら、9ppmとなった。但しpH管理は試験紙で行っているままなので、測定器を入れないとこの状態を維持するのは難しいだろう。また石灰と反応した廃棄物が毎日80t出るので、巨大な山を形成している。土地が広いのでまだ20年もつそうだ。


肥料工場から毎日廃棄される粗石灰

交通事情 :  道路は大概一方通行であり感心する。首都の道路には自動車が溢れかえっており、幹線道路以外では両側駐車は当然、3車線でも1台しか通れない、歩道に半分乗り上げて駐車し、側の家から植木は張り出すから歩道は歩けない。化学実験と同様、機械は入れたが、交通ルールは後回しと感じる。

観光について:  シリアは東西文明交流の分岐点であったので遺跡はそこら中にある。古くはウガリットがあり紀元前12世紀に栄え、楔型ウガリット文字を発明した所。パルミラは砂漠のオアシスで東西貿易の基地として栄えたが、繁栄し過ぎて奢った為かローマ軍に滅ぼされて後、廃墟となった。しかし、その地域の広さは膨大で殆ど修復されず、そのまま残っている。昔のオアシスは水が涸れたが、ポンプで汲み上げ、パルム(椰子)の林は残している。

十字軍時代も西洋軍がエルサレムへ行く途中の基地となった為、通過地点に城が残っている。城は必ず見晴らしの良い山の天辺にある、故に「天空の城ラピュタ」のモデルとなったと言うシェバリエ城は私の家から近い。その他各地に残骸があるが、2000年前の石の門に紐を繋いでブランコをする親子、古い塔の下部に羊を入れて飼っている人... 勿体ない!


遺跡でブランコ

天空の城のモデル

オアシスの水源ポンプ

オリーブは地中海沿岸地域の特産品

追記 2011年4月21日

今、シリアはチュニジアから始まった民主化の波が押し寄せ、大きなデモ行動、それを抑えんとする軍隊の発砲が続いており、既に数百人の死傷者を出しています。 それでも民衆の目覚めは止まず、民主化要求デモ、軍隊による発砲が続いています。 JICAは同国からボランテイア全員の引き上げを実行中です。 平和、安全とは為政者による強制的なものであり、少しでも政権に異論を言う人は直ぐに逮捕投獄によって保ってきたものです。 今回、その網が不合理であると意識する人達がデモを始めました。 今後どうなろうとも、一人一人の優しさは変わりません。情勢が落ち着いたら再度訪問する積りです。

以上