思い出の写真

全SV参加による派遣先大学訪問 砂漠の中の燐鉱石採掘工場
日本との提携を祝って 日本との提携を祝って

レポート: 「中東の国」            中川 安隆

私の日々のボランティア活動は JICA の「業務調整」

私は1997年から2000年までの2年半、 JICAのシニア海外ボランティア(業務調整)としてヨルダンで活動させて頂きました。
「業務調整」とは JICA の現地事務所に席を置き、派遣されたシニア海外ボランティアに対する二人三脚的な後方支援と、現地機関から出てくる新規派遣要請の討議・推進が主な役割でした。我々の日常活動の基本姿勢は、何時も「国際親善」を先ず念頭に置いての現地活動でした。

「死海」のある平和な立憲君主国 ( 王制 )  ヨルダン :

総人口の三分の二をパレスチナ人が占めると言われるヨルダンは中東の中では、最も安定した平和な国と言えるでしょう。イスラエルとの国交もありますので、首都アンマン市内には立派なイスラエル大使館があります。

首都アンマンは九州の宮崎市とほぼ同緯度で、ヨルダンは乾季と雨季がはっきりと分れていて、例年1回ぐらいアンマンでも雪が積もります。海抜マイナス 380 メートルの死海は、海抜900mのアンマンから車で約30分の近さですし、少し南に出ると摂氏60度の湯煙たつ温泉もあり、アンモナイト等の化石の眠る丘もあります。
資源としては、全土の80%を覆うと言われる燐鉱石や、石油への転換技術の開発が待たれるオイル・シェールの豊富な埋蔵(今の国内消費量では 1000 年分)等、将来が楽しみな資源に富んだ魅力のある国です。南のアカバ港は透明度世界一の紅海にあり、綺麗な熱帯魚が色彩に富むサンゴの中を泳いでいます。

異文化の中に暮らして :

イスラム圏として、礼拝の時刻を伝えるモスクの塔からのアザーンの朗詠で朝が明けました。家主の小さな娘さんが聖典コーランの暗誦を幼稚園で毎日、日課として教わっていると教えてくれた事を思い出します。日常の生活はアラビア語ですが、一方、英語はビジネスに、又、街の生活に非常に良く通じました。

在任期間中の思い出では、皆既日食があり、前日に突然その日を「公休日」にすると閣議決定がありました。皆既日食の時間には、多くの住民がモスクに集まってお祈りをしたり、家に引きこもったりしたので、午後2時と言うのに日食の時間帯には街から人も車もすっかり消えてしまいました。また、在任期間中に名君フセイン国王が病死され、新しい若い国王が誕生しました。

幸にも、在任2年半の間で、治安上の不安を感じた事は個人的には全くなく、聖書に出てくる由緒あるヨルダンの山や谷を津々浦々まで動き回りました。アラブ式の羊サンドイッチ「シャワールマ」を行った街々で食べながら歩き回ったヨルダンの生活がとても懐かしいですね。

以上