レポート「中東ヨルダンへの国際協力」(JICA・SVの体験事例から) 北垣 勝之

1.ヨルダンの地勢

 南東はサウジアラビア、東にイラク、北にシリア、西にイスラエル、そして紅海を挟んで南西のエジプトに囲まれた小国である。 面積は9万2000㎢(日本の4分の1、北海道の1.2倍)、西部に丘陵地帯(海抜400~900m)が南北に走り、ヨルダン川や死海(海抜マイナス394m)を挟んでイスラエルと国境を接する。東部の大半は砂漠地帯で国土の80%を占める。 気候は春秋が短く夏冬が長い。丘陵地やアンマンでは冬季積雪がある一方、紅海支湾に面したアカバは乾燥少雨、夏季に摂氏50度を超す日がある。冬から春へかけて季節風ハマシーニの砂嵐に見舞われる。

2.政経

 正式国名はヨルダン・ハシミテ王国(1949年6月~)、元首はアブドゥッラー2世、立憲君主制を布く。人口約600万人、その60%は首都アンマンに集中する。宗教はイスラム(スンニ派)が90%以上、キリスト教徒は6%ほど。公用語はアラビア語(英語も一部可)、アラブ人が大半であるが、その内訳はパレスチナ系が約70%、他はベドウィン等々。

 主な産業はリン鉱石(産出量世界第3位)、肥料、観光、衣料、流通、養鶏牧畜、その他農業(オリーブほか)、天然ガス等。一人当たりGDPは1600ドル(2003年)から近年5000ドルへと急上昇している。外国借款は60億ドル水準、主たる支援国はUSA、日本、EUの順。諸経済指標は概ね世界ランク中位(30~70%) に属する。失業率は12~14%で推移。

3. 歴史

 ヨルダン国の形成は、第一次世界大戦後イギリスの委任統治下に入った時から始まる。当時はパレスチナの全域を含む。1946年5月26日独立、トランス・ヨルダン王国が成立する。1948年にイスラエルが独立し、第一次中東戦争(パレスチナ戦争) が勃発する。爾後中東アラブ諸国とイスラエルの角逐が始まる。特に1967年の第3次中東戦争ではエジプトが大敗を喫し、ヨルダンもヨルダン川西岸を失う。この間多くのパレスチナ人がヨルダン国民となる。パレスチナ解放機構(PLO) 絡みの内戦もあったが、1994年イスラエルと平和条約を結び、以後中東諸国の中で比較的安定した国政を維持している。

 聖地イエルサレムはユダヤ、キリスト、イスラムの接合点、歴史的にその影響を受けてきた。旧約聖書やローマ人、十字軍遠征、英雄サラディーンに因む遺跡が各地に散在する。また南部はベドウィンの地、BC200年頃ナバタイ人繁栄のペトラや近くはオスマントルコの名残をとどめる遺構がある。

4.社会・生活・教育・文化

 国民の大半はイスラム教徒、従って5行6信に則って生活する。政治も企業活動も然り。為に異教徒から見れば異な風俗習慣に面食らうことになる。一日5回のお祈り、ラマダン(断食) やハッジ(巡礼) に重きを置く。またハシミテ家の血筋を引く王国、プライド高くして下働きは外国人に委ねる。表面は男系社会、裏に自由奔放な女性社会。衣食住、冠婚葬祭、あまねく現地人と付き合うは至難の業。男のアラベーヤ、女のブルカやイシャール(以上服装)。羊肉羊乳のマンサフ、ホブス(円盤状パン) にホンモス(ひよこ豆のペースト)、シュワルマの美味。ハラーム(禁止) の割には酒屋多し。豪邸街はプール付、庶民は日干し煉瓦の石造り家屋。近年高層住宅団地が増加の傾向。証人二人あれば結婚成立(但し結納金を要す)。葬式は三日三晩のお茶会、土葬。教育は上方志向強く海外留学も多い。大学入試にあたるタウジーヒ(高校終了試験) に合格すれば空砲を鳴らし花火を打ち上げる。家族主義は未だ健在。金曜休日と犠牲祭の連休、ヒジュラ暦に基づき一年が回る。

5.SV活動

(1) JICA職業訓練強化プロジェクト(2006年4月~2008年3月)

 職業訓練公社傘下約50校(以下VTC) からTTI(マルカ) /アカバ/ジェラッシュの3校をモデル校に指定、それぞれパイロットコースを決めて職業訓練強化に取り組む。VTCの権限強化、地域産業ニーズの反映、運営管理情報の集中と活用、公社本部のVTC管理一元化、以上4項目を目標にPDCA(Plan - Do - Check - Action) サイクルを4年間繰り返し展開する。

 アカバ職業訓練校は自動車修理、電気配線、金属加工溶接、木工、空調配管、情報処理(ICDL)/コンピュータ、ホテル観光、建築内装、理容など、1年内外のコースに約200人の訓練生を養成する。約30名の教職員を有す。SVの使命は、学校運営について同校の業務改善を行うことにある。カウンターパートは校長、ノウハウシリーズ "Better Management" 10項目を提示して責を果たす。

(2) 企業の人事管理コンサルテーション(2008年12月~2009年2月)

 アンマン商工会議所に属するタイルメーカーJORCYP (Jordanian Cypriot Construction Industries Co, Ltd.) の人事業務コンサルティングを行う。同社は従業員100人強、管理部門30人以外の製造部門の大半はエジプト人である。人事管理(HR) は経営管理部の所掌にあり、近い将来独立させる目論見があった。HR全般にわたる経営診断を行い、提言書を堤出する。


アンマン・ダウンタウンのブルーモスク、巨大な青銅色の伽藍と二本のミナレットが辺りを圧する。

アンマン・ダウンタウンは人口密集地、急峻な丘の斜面に這いつくばるように住宅が建つ。最近ザハラン通り第6サークルに28階建のツインビルができた。新しいランドマークとともに首都アンマンは郊外に発展著しい。

アカバ職業訓練校正門(現在は一部改装されている)。辺りは短期大学や工業高校や普通高校もある砂漠の中の文教地区である。

アカバ訓練校から対岸イスラエル方面を望む。アカバ湾最奥に広がる町はエイラート、その前に横たわる砂礫の荒れ地が国境ライン。

VTC(職業訓練庁)とJICAの会議風景(ヨルダンVTC庁舎内にて)。その他、ラップアップ・ミーティングや連絡会を頻繁に開催し関係者相互のコミュニケーションを密接に図る。

ヨルダン政府関係者のアカバ訓練校視察。写真は女子ホテルコースでのスナップ。訓練コースは男女別々に行われる。

アカバ訓練校のすぐ裏手、リン鉱石を運ぶトロッコが轟音たてて通過する。鉄路はサウジアラビアとの国境に近い肥料製造会社へと続く。日ヨの合弁会社NJFC (Nippon Jordan Fertilizer Company)によって最終製品化され日本へ輸出される。

ヨルダンのタイルメーカーJORCYP社、現場は3K(きつい・汚い・危険) 職場の典型、タイル一枚の重さは約7kg、確かに重労働である。作業員のほとんどはエジプト人。

ラマダン中の夜食に供されるカターエフ。この餃子風の揚げものは日本の餃子より大きく、中にはイモやクルミ等の木の実と香辛料を混ぜて練ったあんこが入っている。うす甘い。

「砂漠の松島」ワディラム。この赤茶けた砂地と砂岩の織りなす地に、紀元前3世紀から原住民ベドウィンは暮らす。わずかな雑草とオアシスの水さえあれば、人間は生きることができる。

十字軍のカラク城遺跡。11C~13Cにかけて数次にわたる十字軍遠征、その間1132年に築城されたカラク城は、アラブの英雄サラディーンによってエルサレム奪回(1187)の翌年征服された。10年以上も前から遺跡の整備がJICAの協力で進められている。写真右端の道を奥の方へ辿れば死海に通じる。

死海に近いハママートマイン、高さ30mの温泉滝。別に90度の源泉と温水プールがある。敷地内にはレストランや礼拝のためのモスクもある。

以上