「外国語としての日本語教育」の助言指導という日系社会からの要請を受けた JICA からシニアボランティアとして派遣され、 1996 年 8 月 7 日サンパウロ空港に降り立った。 私はブラジルを訪れた何人目の日本人であろうか・・・


フロリアノポリス
1803 年にロシア戦艦が遭難した日本人漁師たちを救助、本国へ向かう途中フロリアノポリスに寄港した。その漁師たちが最初にブラジルの土を踏んだ日本人であろうといわれている。

1895 年には日本と修好通商条約が調印され、1908年に日本人の本格的移住が始まり、戦前・戦後を通じて 100 万人以上が海を渡り現在に至っている。


ラーモス移住地と二世
外国語としての日本語教育」とは、なに?

戦前移民の多くは、故郷へ錦を飾って帰国することを夢見て、子供達には日本の国語の教科書を使い、日本人としての教育が多くは移住地の日本人会によって行われてきた。

しかし、厳しい自然や太平洋戦争の勃発などで当初の目的が達せられないままに世代交代が進み、日本語学校では日本語が生活環境の中にない日系三世以上の学習者が主流となってきていた。

以前には、子供達が日本語を話せるという前提のもとに国語教育として扱ってきたが、現在ではこれを「外国語としての日本語」の教育に改めて、教科書や教材、 教え方も当然のことながら転換しなければならなくなってきたわけである。


ポートアグレ州庁舎

長距離バス
?盛り上がった道路?

ブラジルでは、自動車による事故や死亡事故が頻p繁で松葉杖の姿や家族を無くした方をよく目にし、耳にした。

そのためか幹線道路の市街地への入り口には道路面を蒲鉾状に 盛り上げてスピードを落とさなければ通れないようにしてある。スピード自主調節つき道路はアイデアものと感心したが、事故は一向に減らないようである。一般市民の交通手段は車と長距離バス、鉄道は大都市の地下鉄のみである。


ショハスコ
ショハスコにマテ茶とピンガ、そしてパラナマツと松の実

南部はガウショ(カーボーイ)の文化である。マテ茶をキセルで回し飲みして友情を深め、ショハスコ(岩塩をつけた肉の丸焼き)を削いで食べ、トウモロコシを醸造したピンガ(酒)を飲み語り合う。写真は、ドイツ系移民移住記念祭。

成長と共に下枝が落ち 30 ~ 40 mにもなる傘を開いたようなパラナマツは高級家具材として用いられてきた。

松毬はサッカーボール大となり一粒の実は 5 ~6㎝位で茹でると美味しく、食べ始めたら止められない。

現在は伐採が禁じられている。


ドイツ系移民移住記念祭

アライグマ
世界最大イグアスの滝!
アルゼンチンとブラジルの二国にまたがり、大小 300 の滝が4km高さ 40 ~ 80 mから落下している。空に虹がかかり、遊歩道にはイグアナやアライグマなどが現れ、心行くまで自然のすばらしさを満喫することができる。現在は世界遺産にもなっている。

見事な果物が並ぶ
サラリーマンの昼食

「ポル・キロ」の店は主に昼食時に開く。8種類前後の日替わりメニューの料理から好みの品を好きな量だけ大皿に盛り、秤で計ってもらい支払を済ませてから食べることができる。

「ポル・キロ」“㎏当たり”という意味でサラリーマンには人気がある。デザートとスープは無料にしている店も多く、ここではブラジルの家庭料理の味が楽しめる。

以上