思い出の写真


帰国直前、任期満了SV3人のJICAマレーシア事務所による送別会。JICA所長、JICAスタッフ、SVの間たーパート、マレーシア政府代表が出席

マレーシア開発銀行日本語教室に最後まで残った女性スタッフ達。この日はタイ料理を皆で食べた

ペトロナスツインタワー(96/11)

中華街の正月風景

中華街の正月風景

官庁街風景

クアラルンプール駅外観
 

レポート:「クアラルンプールでのシニア海外ボランティア」     竹野恒之

私は 1995 年 1 月から 2 年間、マレーシア クアラルンプール ( 以下 KL と略す ) のマレーシア開発銀行にシニアボランティアとして勤務いたしました。当初は JICA 派遣事業部派遣のシニア協力専門家という名称でしたが、一年たって 96 年から青年海外協力隊事務局の管轄になる現行のシニア海外ボランティアに変更されました。

マレーシア開発銀行は KL の中心スルタンイスマイル通りの中ほど、シャングリラホテルに近い高層の建物で、マレー系の零細小規模企業の育成を主要業務にしています。私はこのビルの 15 階にある起業援助部門の一角にデスクを構え、仕事はこの銀行が融資している企業の品質管理、特に ISO 9000 の認証取得をお手伝いすることでした。銀行の地下 1 - 3 階は駐車場になっていて、多くの社員はマイカーで出勤しています。部長職以上には車が貸与され、会長、社長はベンツ、部長クラスはボルボ、ホンダ、トヨタなどの車に乗っているようでした。はじめバスで通っていた私には国産のプロトン車が貸与されましたが、三菱自動車が製造を指導したこの車は故障もなく、公私にわたって私の KL 生活を支えてくれました。

マレーシアは日本の 9 割の国土を持つ人口約 2500 万人の国でマレー系、インド系、中国系の人たちが住んでいます。 KL は人口 150 万人以上、中国系のいわゆる華人が多数を占めています。私が帰国するときは、今や有名なペトロナス ツウィン タワーが翌年の完成を目指して最上階の工事をしているところでした。その後 LRT (日本の地下鉄のような電車)、新国際空港が完成していますが、私は未だ見たことがありません。 KL は間違いなく 10 年前から大変貌していると思います。ツウィン タワーの一棟は日本企業の建設だし、新空港は日本人の設計によるものだそうです。

マレーシアに来て 7 ヶ月が過ぎた頃、周りの人たちからのリクエストもあり、私は銀行で日本語教室を始めることにしました。はじめどのくらい生徒が集まるかに興味がありましたが、行内放送で募集したところ 46 人が応募してきました。私の仕事の予定、イスラム教のお祈りの時間を避けて、週2回昼休みの 45 分間を当てることにしました。テキストは KL の紀伊国屋書店で見つけた「 JAPANESE FOR BUSY PEOPLE Ⅰ」。先輩の SV が職場で始めた日本語教室が5回しか続かなかったと聞いて、せめて6回は続けたいと思ったものですが、この教室は私が帰国する寸前まで実に 100 回続けることができました。私はこの教室が私の SV 生活の何よりの思い出となっております。

生徒は殆ど女性で1回目は 31 人、 2 回目は 34 人、3回目は 27 人の出席でしたが、 10 回目は 17 人となり7回目ごろからは人数はあまり変わらなくなってきました。 10 回目には「さくらさくら」を歌い、伊勢丹で買ったおせんべいをプレゼントしました。翌年 50 回目を迎えた頃はコンスタントな出席者は7人になっていましたが、その人たちは最後まで変わりませんでした。日本語教室の面白いところはテキストの応用をする時で、家族や住まいの様子を聞くことができましたし、職場の様子を日本の会社と比較してみたり、物価の話、生活の違いが話題になることもありました。私はこの教室で積極的に日本を紹介し、とても楽しい時間を持つことができたと思っています。日本と同様に国立銀行どうしの合併で、マレーシア開発銀行という名の銀行はもうありませんが、彼女たちから日本語を交えたメールが、マレーシアを離れて10年後の今も私のパソコンに入ってきます。 SV の何よりのフルーツだと私は今思っています。

上記の一部は、「南の国が面白い」 ( 筆者著 文芸社 2002 年出版 ) から転載しました。

以上