写真で見る首都の変貌 (旧→新)

アーヌサワリー(Patuxay)凱旋門 2002/8 アーヌサワリー(Patuxay)凱旋門 2007/2
凱旋門見晴台から北部を眺める 2002/8 凱旋門見晴台から北部を眺める 2007/2
凱旋門見晴台から中心街南部を眺める 2002/8
凱旋門見晴台から中心街南部を眺める 2007/2
首都唯一のデパート(朝市)全景 2003/12
首都唯一のデパート(朝市)右半分 2007/2
鉄道施設計画の看板
国境の友好橋ラオス側工事現場 2008/2
日本でも報じられた鉄道の開通

レポート 「首都ビエンチャンの変貌」             堀端 俊雄 

早いものでSVとしてラオスへ派遣され、2年間の活動を終えて帰国してから7年が過ぎ去りました。賞味期限切れです。 その間、2005年1月、2007年2月、2008年2月と三回現地を訪問し、派遣先の国立大工学部ソッパルアンキャンパス内にある「ラオス-日本技術研修センター」を訪問し、当時の仲間達と旧交を温めたのは云うまでもありません。

趣味のサイクリングで市内と郊外を走り回り猛烈な勢いで正に変貌するビエンチャンを目の当たりにしてきました。圧巻は2008年2月の訪問で、この時は「ラオスSVの会」に所属し、ラオスにSVとして派遣された経験者19名が日本から、そして現地滞在者6名の計25名が一同にビエンチャンに集合し、JICA事務所を始め、主要派遣先をグループで訪問し旧交を温めたことでありましょう。

前記の変貌写真はほんの一部に過ぎませんが、小生が派遣された時期にはまだ鉄道も無く、主要国道は南北を貫く片側一車線の 13 号線が唯一の動脈? 航空会社はラオス航空一社でやっと保有出来たジェット旅客機はシンガボールからリースしたエアバス A300 が一機 ( パイロットはベトナム空軍からの借り物 ) 、首都のビエンチャンでも数 km離れると道路の舗装はおろか、電化もまだなんて、 周囲の中国、ミャンマー、タイ、カンボディア、ベトナムからは完全に取り残された途上国でしたが、そこにはまだ手付かずの大自然と日本人がとっくに何処かへ置き忘れて来てしまった「人情」がしっかり残っておりました。

そのラオスが各国の援助を受け、猛烈な早さで近代化されつつあるようです。人口も増えつつあり、2002年には553万人でしたが、IMFの推定値では2009年で640万人となっております。最近では特に中国や韓国の援助が多いようで滞在する外国人も中国系、韓国系が急激に増えていると云われてます。又共産圏とはいえ、観光旅行にも多少は進歩が見られるようで、今では日本人は15日以内ならビサ無しで入国出来ます。

任務終了で帰国した翌年の2005年に驚くべきハプニング?が起こりました。ビエンチャンにはビルは6階建までの規制があった筈なのに何とメコン河の河川敷に14階建のホテルが出来てしまったことでした。中国系マレーシアの建設会社が建築したそうです。話の種にすべく、出来たばかりのこのホテルに早速泊まってみました。北面はラオス市街を東南から眺めることになり、南面はメコン河を隔ててタイを眺めることになります。ラオスで初めてバスタブにたっぷりお湯を溜めて入浴出来たのも驚き?でした。ビエンチャンで唯一の高層建築物です。

14階建てのDon Chan Palace Hotel
対岸のタイのシーチェンマイから望遠で撮影

他にも北東の郊外には大きなスポーツコンプレックスが誕生しており、アジア地域の競技会が開催されたりしてますが、日本では報道もされておりません。

他方で日本国内では昨年5月に代々木公園のイベント会場で「Laos Festival 2010」が大々的に開催され、多くの方が訪れました。このイベントは最近のラオスを日本に紹介する目的でラオス人民民主共和国大使館他の団体が主催したものでホームページに記録が残っておりますのでここに紹介しておきます。 「Laos Festival 2010」をクリックしてみて下さい。

その他、ラオスに関する情報は「ラオスSVの会」のホームページに掲載してありますのでこちらもご覧下さい。又ビエンチャン唯一の日本人経営の旅行会社「JumpingTour」があり、日本人が各種予約や手続きの面倒を見てくれます。(本社は新橋にあります)

以下の文は帰国当初のレポートに記したことですが、敢えて転載しておきます。

日本も終戦直後は世界各国から各種の経済援助を受けて今の姿に成長して来たのですが、当時の我々の殆どが飢えており、飢餓感と共に何とかその状態を早く脱して追い付きたいと言う気持ちがあったように思うのですが、ラオスの場合、メコン川と熱帯性気候の結果として、自然に恵まれており、特に首都のビエンチャンでは市民には飢餓感が見えません。住居や衣服は粗末かも知れませんが彼等はそれで満足している様に見えるのです。 援助事業の難しさを実感させられた二年間でもありました。

慌てて工業化するよりは、農業国のまま今の自然と人情を元手に素朴な田舎旅行が楽しめる観光立国なんてのが相応しいのかな~ なんて感じることもありましたが、それはそれでやはり交通機関、通信網、ホテル、レストラン等のインフラ充実が必要であり、まだまだ時間がかかりそうな感じを受けました。
この国では時間がゆっくりと流れており、人々もメコンの夕陽を眺めながらゆっくりした生活を楽しんでいる様でしたが、果たして今後はどう変わって行くのでしょうか?

以上