思い出の写真

アーヌサワリー(Patuxay)凱旋門 危険水位に達した雨季のメコン河
危険水位をものともせずに堤防で楽しむラオス人達 当時のメコン河沿いの飲み屋通り
メコン河住宅地早朝の托鉢風景 ボートレース(ソンフア) 毎年10月頃にメコン河ヴィエンチャン流域で開催。(SV同期、片岡満男氏撮影)
タートルアン(That Luang)、ラオス全土のシンボル
(毎年11月か12月に開催のタートルアン祭にはラオス全土から僧侶が集う。)
革命記念塔
タートダム(That Dam)。シャム(タイ)の侵入からヴィエンチャンを守った竜が住むと云う メコンの夕陽
人々は毎日この夕陽を眺めながらのんびり暮らす

レポート 「ラオスの思い出」                  堀端 俊雄 

在職中の大半を海外市場担当として過ごした小生でしたが、ラオスと言う国は訪問したことが無く、話題になったことも無かったのが事実です。 定年退職してのんびり年金生活を始めて 2 年が過ぎた頃、昔お世話になった会社の OB 会で先輩から「もし遊んでいるのならチョッと手伝ってくれないか」と声を掛けられたのがラオスと関係の出来るきっかけとなったのです。

JICA の海外シニアボランティア制度は知ってはおりましたが、まさか自分がその一名になるとは正直なところ考えておりませんでした。 グループ派遣のテストケースでなかなか要員が集まらず一本釣で目を付けられその後は一般公募と同じ手続きで試験、健診、研修で参加することになって しまいました。 期間は二年で無事任務を完了し、過去の一部になりましたが今では参加して良かったと感じております。

そもそもラオスって一体何処にあるんだ? が、まず普通の人の考え方なのでは?と言われる位、日本人には知られていない国。東南アジアで唯一、海の無い内陸国でインドシナ半島の真ん中、ベトナム戦争中にはベトナムより大量の爆弾を米軍に落とされた国で、広さは日本の本州とほぼ同じところにたったの 550万人位しか人が住んでいません。

鉄道は無く、主要国道は南北を貫く片側一車線の 13 号線が唯一の動脈? 航空会社はラオス航空一社で保有するジェット旅客機はシンガボールからリースしたエアバス A300 が一機 ( パイロットはベトナム空軍からの借り物 ) 、首都のビエンチャンでも数 km  離れると道路の舗装はおろか、電化もまだなんて、 周囲の中国、ミャンマー、タイ、カンボディア、ベトナムからは完全に取り残された途上国ではあるものの、そこにはまだ手付かずの大自然と日本人がとっくに何処かへ置き忘れて来てしまった「人情」がしっかり残っております。

小生の担当分野は国立大学工学部に 2000 年に設立された「ラオス - 日本技術研修センター」に於けるコンピューター指導であり、既に半年前から二名の SV (グループコーディネーター、センター運営管理担当)が活動中でした。 計画では4名の SV がグループ派遣されるテストケースであったらしく、 電子機器修理関係の SV が小生より半年遅れて着任し、4名体制になったのは最初の SV が着任してから一年目でした。


4月の水掛正月 ( ピーマイ ) に着飾ったセンター職員一同と(右から二番目が筆者)

センターには開設時に寄贈されたパソコンが約 10 数台、その後某社から寄贈戴いた中古パソコンで最終的にはおよそ50台のパソコンを、携行機材として調達したサーバーでネットワークとして監理する体制の完成と保守、ホームページの作成等に関する指導であり、生徒は当然センター勤務の大学の先生方でした。

赴任前に受講した僅か 2 週間足らずのラオス語講座ではラオス語が物になるわけも無く、必然的に英語での指導となりましたが、英語の理解度が必ずしも満足の行くレベルの先生は少なく、最後まで苦労の連続でした。他方で大学側からは先生方への米語会話教育を頼まれてしまい、本来の任務では無い為時間外で二時間講義を週二回引き受けておりました。

日本も終戦直後は世界各国から各種の経済援助を受けて今の姿に成長して来たのですが、当時の我々の殆どが飢えており、飢餓感と共に何とかその状態を早く脱して追い付きたいと言う気持ちがあったように思うのですが、ラオスの場合、メコン川と熱帯性気候の結果として、自然に恵まれており、特に首都のビエンチャンでは市民には飢餓感が見えません。住居や衣服は粗末かも知れませんが彼等はそれで満足している様に見えるのです。 援助事業の難しさを実感させられた二年間でもありました。

慌てて工業化するよりは、農業国のまま今の自然と人情を元手に素朴な田舎旅行が楽しめる観光立国なんてのが相応しいのかな~ なんて感じることもありましたが、それはそれでやはり交通機関、通信網、ホテル、レストラン等のインフラ充実が必要であり、まだまだ時間がかかりそうな感じを受けました。
この国では時間がゆっくりと流れており、人々もメコンの夕陽を眺めながらゆっくりした生活を楽しんでいる様です。

以上