思い出の写真

ジャカルタの語学学校の写真
筆者は右から二人目
ジャカルタの語学学校の写真
筆者は左から二人目で、出来が悪く苦戦中
ボゴール植物園近傍の写真
筆者は右端
製鉄所の秘書、事務担当の写真
筆者は右から4人目、隣は延圧技術のエクスパート
 
インドネシア派遣JICAボラ何テイアの面々
筆者は上段左端
 

レポート 「インドネシアの想い出」            小森 英俊

1.インドネシアとの係わり

インドネシアとの係わりは、20数年前に製鉄プラントをメダンに納入し、その際プロマネとして赴任した時点に遡る。当時、国際コンソーシアムを組んでたこともあり、インドネシア語はkira-kiraの一語だけしか喋れないこと並びに現地で高熱を患い、早く仕事を終わらせシンガポールに戻りたい一心であったことを思い出す。

1999年末、35年勤務した重工業会社を退職後、2000年~2002年に亘り、JICAのシニアボランティアとして、製鋼技術の指導にインドネシアに派遣された。JICAプログラムで当初は気が進まなく、後日非常に感謝しているのは、 2ヶ月に亘るインドネシア語の研修であり、そのお陰で如何に苦境を回避出来たか、曲がりなりにも言葉が喋れることでインドネシアに如何に愛着を持つに至ったかは枚挙をいとまがない。

その後、 2002年~ 2005年にインドネシアの現地企業に対するコンサルティング業務で 1回/2ヶ月の割合で渡航し、 2007年 1月~ 3月にはインドネシアにある日系企業に対する技術指導を行ってきた。

2. インドネシアについての印象

  1. 30年間以上、インドネシアに在住し、流暢なインドネシア語を喋る日本人友人の言葉を借りれば神秘的な国で、数年過ごした程度では、とても充分理解することは出来ない。
  2. インドネシア人は基本的には、日本人より温厚で非常に家族を大事にする。
  3. イスラム教徒の比率が高く、戒律が厳しいのではと、一般的には考えられるが、ジャカルタ市内を見れば判るように、かなり自由である。
  4. インドネシアと言えば、津波、地震、洪水、鳥インフルエンザ等の惨事をTV映像で知るのが一般的な日本人の認識と推われるが、ジャカルタは人口 1500万人を超え、巨大プラザが各所に見られる大都市である。
  5. 多くの高級車が走行し、高級ブランド店が立ち並ぶ一方、ストリートチルドレンが見受けられ心が痛む。 貧富の差が余りにも大きい。
  6. 広大な土地、多大な人口、天然資源がありながら、何故発展途上国を抜け出せないのか非常に残念でたまらない。
  7. 教育レベルが高くないと、一般的には考えられているが、これは誤解で、系統だった物の考え方、理論の実践への適用等の教育を受けるチャンスがないため、その潜在的能力を引き出せなかったこと並びに、充分優秀な人材がいても、そのようなことを重視しない風潮が見られるため、能力を発揮 出来なかったものと考えられる。時代は1世から2世、3世に移行していて、若い世代の熱意、意欲は最近の日本ではみられないものがあり、問題解決した時の若い現地技術者の喜ぶ姿には、感動させられる。

3. さいごに

寒さの苦手な私は暑い気候大歓迎、透明度のあるプラウスリブ、ロンボックの海、多種多様な果物、花、黒く大きな瞳の子供達の顔は魅了するものがある。又、第一線をリタイアした我々にも、未だ経験、技術、手法を支援する役割は充分残っており、これをライフワークとする心境である。

以上